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従妹が絵本を出版したその翌月、8月15日。
胸にしこりがあり私と同じような状態なので、と母が検査を受けました。
その後結果が出て、しこりは乳癌であったらしいのですが、同時に肺にも癌があることがわかりました。
乳癌はまだ初期段階。けれども肺の方は骨や他の臓器に転移していて、9月、抗がん剤治療のために入院することに。
1サイクル目の治療が終わり退院となりましたが、食欲が戻らず、水ですら受け付けない状態。
骨への転移で痛みがあったので、痛み止めをいただいていましたから、その副作用もあったらしいです。
点滴も血管がもろいようで、なかなか入らず、本当に辛そうでした。

10月のある週末、絵本を出した従妹がお見舞いに来てくれました。
家で静養中の母でしたが、相変わらず何も食べられない状態。
従妹が来てくれると言うことで、私も母の看護のために里帰りしていましたが、氷なら何とか口にできる様子に、色んな物を凍らせて、シャーベット状になったそれを口に入れる形で水分や栄養を採ってもらっていました。
従妹は母の枕元に座り、手を握って長い間色んな話しをしていました。
会わなかった年月を埋めるように。

けれど彼女も仕事があり、翌日には関東へと。
私はしばらく残って母の看護を続けていました。
シャーベットを口に一さじずつ運ぶ私に、姪が本を出せたことを喜びながらも、私が本を出す所も見たいとぽつんと告げる母。
「あんたが本当にやりたかったことをし遂げるのを見届けたい」

心が痛くなりました。
今まで心配ばかりかけて来た母に、何か喜んでもらえることができないか。
そのことばかり考えていました。

従妹が来てくれた翌週には私も乳腺外科での検査が入っていました。
まずはその検査をクリアーして、安心してもらいたい。
検査の前日まで母の看護をした後、その日の夜に帰宅、翌日の検査に行きました。

検査が終わり、乳腺外科の待合室で診察を待つ間、そこから外の景色を見ながら、ふとその前の年のことを思い出していました。
自分が乳癌であることをどうしても母に言えず、弟に任せてしまったこと。
それから母がどんな思いでいたのか、そのことを考えながら。
手術の後、最初の診察には母も先生の話が聞きたいと、この待合のソファーの隣に座っていたのです。
そのことを思い出して、涙が止まらないまま、主治医の声に呼ばれました。

泣きながら診察室へ入って来た私に、主治医は驚いて子どもをなだめるように背中をさすりながら
「どうしたん? 検査、不安やったん?」
と尋ねました。
母のことを話すとじっくりと聞いてくださって、
「それは心配やなあ。……でもあなたのこともね。あのね、実はちょっとだけ気になるものがあったんで、診せてくれるかな」
手術時のドレーの管を通すための穴の痕、そこにちょっとした肉腫のようなものがありました。
「体質でケロイド状になることがあるから、多分それやろうって思うけれど、お母さんのことも心配だしね。まずあなたが大丈夫って言う状態で、しっかりお世話ができるようにしよ。来月日帰りの手術で、これ採って検査しましょね。僕に相談したいことがあったらいつでも聞くから、自分だけで悩んだらあかんよ」

そんなわけで次の月11月に日帰りの手術を受けることになりました。
その上で、もう一つ。

母の状態から、もうそれほど時間がないのだということ。
私ももしかしたら、悪性かもしれないものがあって手術っていうことに。
自分自身の時間だってどれくらい残されているか分からない。
今まで私が夢をかなえられるよう、応援して来てくれた母のためにも、どうしても早く作品を本にしたい。

ある決心をして、そのことを晶惺さんに相談することにしました。
いや。正確に言うと違います。
相談する前に自分の中で決めていたことを告げることにしました。




(つづく)

テーマ : 雑記
ジャンル : 小説・文学

ウバが我が家に来てくれた11月。
そのある日、母からの電話が入ります。
父の姉であり、私の名付け親でもある伯母が亡くなったということでした。
1年前東京の叔父が亡くなった時、葬儀で出会ったあの伯母です。
弟達と母は行くと言う事でした。
「あんたはどうする? 無理せんでいいよ」
関東方面なので長距離です。
車で行くという事でしたので長時間のドライブになるでしょうし、私も3度目の入退院の後でしたから、気遣ってくれたのでしょう。
けれどその母もこの夏、心臓の手術をしたばかりでした。
それでも行きたいというのは、祖母が亡くなって以来、行き来がなくなった父の姉弟の仲を取り持っていきたいという思いでした。

誰かがつないでいかないと、たとえ血のつながりがあっても、絆が断ち切れてしまう。
父が亡くなって以来、自分がその役目を担わないといけない。

そんな使命感みたいなものを感じることがありました。

「私も行く」

迷わずそう答えました。伯母には素敵な名前をもらってまだちゃんとお礼も言っていなかったし、遺された従妹たちにも会いたかったし、体調もその頃はよかったので。
で、母、弟二人、私と4人で伯母の所へ行くことに。


式場で車を下りると、伯母の所の従妹たちが駆け寄って来てくれました。
祖母の葬儀以来、30年近くぶりの再会です。
手紙のやり取りもしていなかったのに、私の身に起きた事をなぜか知っていました。
母が皆の気持ちを色んな形でつなぎとめていてくれたようです。
去年亡くなった叔父の所のいとこたちとも合流。
会わなかった日々を埋めるように、語り合い、メルアドも交換。
それが後々思わぬ形で、「Destiny」の書籍化の話につながって行きます。




伯母の所には娘が二人。
その下の従妹から約半年後嬉しいメールが入りました。

絵本を出版することになった。

ということでした。
聞いてみたら私も自費出版をするならここかなと考えていた文芸社から。

「AYAKAちゃんのことも奥付に書いたよ。よかったら、読んでね」

7月1日、従妹の絵本「みみの水玉マジック」(みずたさとみ著)が出版されました。
さっそく取り寄せという形で、何冊か購入。
晶惺さんやそのほかの知り合いにも配りました。
彼女が言うように奥付に私のことが。
私の影響で、物語作りが好きになったと。
昔子どもの頃、自分が考えた話をいとこたちが集まると語ったりしていたこともありましたが、彼女の私への思いの一端が分かり、本当に嬉しかったです。



彼女にお祝いの電話を入れて初めて知ったのですが、出版の話があったのは伯母の葬儀の日だったそうです。
まるで伯母が導いて、絵本の出版という彼女の夢をかなえてくれたようでした。

お母さんにも読んでもらいたかった。間に合わなかったなあ。

電話口で従妹はぽつんとそう言いました。



彼女がブログをしていることもその絵本で知りました。
そのブログを覗きに行ったことが、私もブログをしてみようと思ったきっかけです。
しかし実際始めるのはまだ先です。
でも後にブログを始めた事で、それまでうちにこもりがちだった私の世界も広がって行きました。

伯母が亡くなったことでつなぎ留めれた縁。
そしてそこから何かが始まったわけです。

父が亡くなり、その翌年には叔父が亡くなり、そして1年後伯母。
毎年のように哀しみが続きましたが、そんな年廻りに私たちもなって来たということなのかもしれません。

うかうかしていたら、何もできないまま終わってしまうな。
そんな思いがちらり。
私自身、体の不安も抱えたままでした。

私も本を出したい。

従妹の絵本出版がいい刺激になりました。
夢でしかなかったことが、頑張れば実現できる可能性もあるということを教えてもらった気がします。

でも振り返ってみれば、時間がなかった。
差し迫った状況に追い立てられることになったのです。





(つづく)



テーマ : 雑記
ジャンル : 小説・文学

その年の10月、父の3回忌の法事などがあり、休日明けに娘が職場へ行くと、同僚の方達が猫がいると騒いでいました。
職場の周辺は海辺で釣りのお客さんも多いせいか、その魚をいただいてるのか野良の猫が何匹かいるそうです。
ですから何を今更と思ったそうですが、それとは違う新顔さんで、野良の子にしては人懐こく、職場の中に入り込んですり寄って来るという……。
黒地にあごとお腹、足先が白い子。そしてちょっと大きいサイズ。

ウバ

特に逃げるでもなし、職場の中や外で一人遊んでいた子でした。
皆さんにはジジと呼ばれ、かわいがられていたようです。
その頃職場のイベントがあって、皆で留守になったりもしたそうですが、ちゃんとお留守番していたり。

そうして1週間ほどいたそうですが、職場は市の管轄。
勝手に猫を飼うことは許されなかったのです。
このままでは保険所送りになってしまうかもしれない。
ひとなつこい子だし、誰かに飼われていたに違いないし、いつか飼い主さんが探しに来るかもしれない。
誰かが保護してあずかろうっていうことで、娘は自分がと名乗り出て行ったそう。

主人は猫はあまり好きではなかったですので、許可されるかどうかもわからなかったのですが、とにかく連れて帰ってきました。
義母がいたら、動物嫌いな人でしたから猫を家に入れることは猛反対でしたでしょう。
その前にいたゴールデンのクリスも、主人が知人からいただいた子ですが、返すか捨てるかしろと言われて、家では飼えず、主人の店で看板犬として飼うことになったということがありました。

しかしその猫は本当にお行儀がよく人懐こかったので、飼い主さんが見つかるまでという約束で、主人が許してくれました。
警察へ届けたり、ネットのサイトを利用したりして飼い主さんを探しましたが、見つからないままです。

名前は仮の形でウバと名付けました。
娘が好きなバンドUVERworldからなんですが、その名前にすぐ反応するようになりました。
人懐こさで、主人もかわいくなったのか、姿が見えないと探し回ったり、何かとちょっかいをかけるという具合で。
家族の中に溶け込むのにはそれほど時間は必要なかったです。



こうしてウバが新しく我が家の一員となりました。
まだこの頃は仮にでしたが。
飼い主さんが見つかるまでは預かりものであるという意識も。
しかし私たちが彼に情を移すのにも時間はかからなかったです。



もともと5人家族で、そこに主人の姉妹たちの家族も毎日のようにやってくる家でした。
それが両親がいなくなったことと、私の体を気遣ってか、皆さん全く来なくなってしまいました。
犬のクリスもいなくなって、家の灯は消えてしまったよう。

入院中数度、週末に外出許可をもらえて帰る事がありましたが、その時家に一歩入ると、何とも言えない重たい暗い空気に押しつぶされそうな気がしていました。

その頃まで娘と主人の間にも会話というものがほとんどない父子でした。
私の入院中、家に帰りたがらない娘は、消灯時間までのぎりぎり、9時頃まで病院にいた事もしょっちゅう。
主人は主人で、食事は自分の好きな所での外食で、そのままゴルフの打ちっぱなしに行ってしまう。
そのわびしい家の中の空気を感じたのでしょう。

それがウバが来てくれたことで主人と娘の会話も自然と増えました。
以前はその仲介役を私がとる形でしたが、今では二人で直接話をしたり、私を介さずとも色んな相談事を父親に持ちかけている娘です。
ウバを受け入れてくれたことが大きかったみたいです。

そんな風に家族の気持ちの持ちようまで変えてくれたウバ。
たった1匹で私たちに幸せな空気を運んで来てくれた彼。
私たちの運命まで変えてくれたような気がします。
私にとっても、その数年間辛い時期でした。
父が倒れた時、義父の介護と重なってなかなか手伝えず、体が二つ欲しいと心底思った日々。
婚家での理解者でもあった義父の死。
その後どうしても義母と折り合いが悪く、私の誤解から婚家で孤立している気持ちに陥ったこともありました。
そんな頃の父の死。
それから義母が倒れ、それと同時に愛犬クリスの介護が始まり、義母の死。
その後叔父の死と続いて、今度は自分の入院、クリスとのお別れ……。
そんな中で私も、そして家族も気持ちを立て直すことができないままでした。
その空気をウバが変えてくれたように思えるのです。
そのために彼が来てくれたような気もするのです。


ウバが来た11月。
その月は何かが動き始めた月でもあります。
しかしそれには、また大切な人とのお別れを乗り越えないといけませんでした。
そしてそのお別れは、大事な人たちとの再会、運命の歯車がかみ合って動き始めることにつながって行きます。
私と晶惺さんの夢につながる大事な時期でした。


それについてはまた次回に。




(つづく)




テーマ : 雑記
ジャンル : 小説・文学

ゴールデンウイークの頃、いったん退院となりました。
退院の前日、1階の夜間出入り口から隣の公園へ行き、脚ならしの散歩をしてエレベーターに乗ろうとしたら、名前を呼びながら駆け込んでくる白衣のおじさんが……。
乳腺外科の主治医の先生でした。
「明日退院なんやってね、おめでとう。ゆっくり休んでおいしいもん食べてな。その後はちょっと頑張らんとあかんから、しっかり体力つけといて。それじゃいい休暇を」
そんな風に声をかけてくださった先生。
いつもニコニコされているので、にこちゃん先生と呼んでいたのですが(もちろん私の中だけで)実は外科部長さんでした。
そんな役職を感じさせないほど、腰が低く、気さくな方です。

癌の手術、それも左の乳房全摘ということで、女性としてもかなりの精神的負荷を感じる物です。
私はそれほど若くないし、もうスタイルにこだわることもないかもしれないけれど。
でもいくらおばさんでも、一応女性だから……。
不安や辛い気持ちがないとはいえない。

先生が私を見つけて駆け付けて来て、そんな風に言ってくださった事が本当に嬉しくてエレベーターの中で涙ぐんでしまいました。


手術は5月の半ば。
若い男性の先生が入院中、着いてくださることに。
そして腎臓内科の主治医の先生や、糖尿病内科(こちらは薬の副作用のためについてくださってます)の先生が病室へ来て励ましてくださいました。
糖尿病内科の先生は手術当日夜勤をとって、スタンバってくださるとのこと。
他にも何人かの麻酔科の先生がついてくださるというチーム編成。
気持ちが本当に楽になりました。

手術当日、朝一番の時間帯でしたけれど、主人の一番上の姉、実家の母と娘、晶惺さん、下の弟が駆け付けてくれました。
皆に見送られての手術室行き。
そして術後は母、上の弟家族、下の弟、主人と娘、そして夜勤だった糖尿内科の先生、翌日は腎臓内科の先生が次々と顔を見せてくれました。

色んな人に心配をかけたし、世話になったし、元気をもらえた。
そして生還できました。
その上リンパにあった怪しい影、それが良性の物だったと分かり、抗がん剤を使わないホルモン治療ということに方針転換。
転移も覚悟していたので、本当に命拾いをしたような気がします。

まだ生きることを許してもらえた。
まだ時間をもらえた。
失った乳房と引き換えに。

その喜びでいっぱいになりました。
不思議なんですが、自分の体形が人と違うものになったことについては、それほどの悲しさはなかったです。
胸に大きくできた傷跡も、ここにあった物が犠牲となって自分を生かしてくれたんだという、証拠みたいで、むしろ宝物のような気がしました。
そんな風に自然に思えた事が嬉しかったし、その傷を見るたび、助けてくださった先生達のことを思い出せます。
感謝いっぱいの気持ちになれるのが、嬉しく思うほど。





退院後、義母の1周忌などがありましたが、主人は親戚に話をしていなかった様子。
ですけれど、まだ実際お茶運び一つもできないくらい術後すぐでしたから、母が手伝いにずっと来てくれていました。
そうやって助けてもらいながら、色んなことをこなした日々です。

その後も膠原病の様々な症状のために入退院を2度ほどしました。
腎臓内科だけではなく、総合内科や皮膚科、神経内科、血液内科のお世話になったりもしました。
でもなぜかそのたびに落ち込むことは少なかった。
それは大きな手術を乗り越えた後、命をもらったと実感できたおかげかもしれません。
いただいた命と時間を何に使うか。
どう生きるか、真剣に考えた頃です。

そして秋……。
神経内科の入院から解放された頃、父の3回忌を迎えます。

この年の直前には大きな別れが続いたなと思いました。
そして父の命日の頃、新しい出会いも待っていたんです。
大切な大切な命との出会いでした。

それについてはまた次に……。





(つづく)

テーマ : 雑記
ジャンル : 小説・文学

4月に入った頃、主治医の先生から告げられたこと。
腎生検で分かったことなのですが、膠原病のSLE(全身性エリテマトーデス)だと。
治療方針はネフローゼ症候群と変わらないのですが、免疫が自分を攻撃している状態。今回はそれが腎臓に来てしまったのですが、今後他の臓器にも影響がないとはいえないそうです。公費である程度医療費を補助してもらえるから、今後の治療のことも考えて県に届を出すように勧められました。
若い女性に多い病気だそうですが、40代後半の私の年齢でも発症することがあるらしい。

けれど振り返れば、若い頃に怪しい症状がありました。
中学まではたんぱくが尿に出たりしましたが、病院で診てもらったら、異常なかったということもあって詳しい検査はしませんでした。
コンビニをしていた頃には全身に湿疹、顔が赤くなったり、疲れやすかったり。
当時は病院(今現在通院中の所ではない総合病院)でもストレスからの皮膚病という診断でした。
疲れやすいのは、コンビニ弁当ばかり食べていて、体重が急に増えたからだろうと。

私も家族もそれほど深刻に考えていなかったので、ちゃんとした検査をすることもなく、それがそうだったのかどうかも分かりませんが。

SLEは完治しないそうです。
上手に付き合いながら状態のいい時を継続するようにしましょうということでした。

その後腎臓の状態がいったん落ち着き、退院することに。
その間際、晶惺さんがお見舞いに来てくれました。
雨の中だったのですが、退院前にお見舞いしたかったからと。
彼女も骨折したりしていましたが、その頃にはそれもだいたい治っていたそうです。
色んな病名を告げられてへこみ気味の私を元気づけようとしてくれていたみたい。

彼女には入院中、外出許可をもらった時にそれまで書いていた原稿を郵送しておきました。
それを持参で来てくれて、病院でのいつものミーティングになりました。

長年付き合っているわけですし、きっと何をすれば私が元気になれるか分かっていたのでしょう。

まだやることがあるよ。
病気に負けていちゃだめだよ。

彼女は言葉には出しませんでしたが、そんな思いを伝えに来てくれたように私には思えました。

そう。まだまだ夢の途上で、諦めるわけにはいきません。
いったん退院し、その数週間後にがん摘出の大きな手術が待っていましたが、必ず生還するそう気持ちの中で誓いました。




(つづく)




テーマ : 雑記
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

AYAKA

Author:AYAKA
「乳癌とエリちゃんに感謝。病気に負けない日々」を綴っていたあやにゃんです。

日々思うこと、自作小説の執筆裏話を中心にお届けします。
不定期更新ですがよろしくお願いします。

アメブロで、猫のウバとブログやってます。
http://ameblo.jp/ayatakelog/
(ウバのひとりごと)
リンクからどうぞ→




武美肖佳&龍未晶惺の名で、学生時代からの親友とこのたび文芸社から本を出版しました。

「DESTINY―遥かなる宇宙より―」
武美肖佳(たけみあやか)
龍未晶惺(たつみしょうせい)

四六版・並製268頁 
定価1,155円(消費税込み)
文芸社
ISBN978-4-286-12296-0

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