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祖母が亡くなった後、1月~3月はあっという間に過ぎて、2回生になりました。
周辺の友達の話題は夏休みのアメリカでのホームステイ、バイトや今でいう就活が主。

晶惺さんもアメリカへ行くかどうか迷っていましたが、結局行かないことに。
あとで知ったのですが、彼女も大変な時期だったそう。
けれど、それについては彼女の承諾がないので、書きません。

二人は二人して、将来作家としてやっていくという淡い夢みたいなことを考えていました。
なので現実を見てなかったともいえるのかもしれないですが。

本を出すために具体的に動き出したのもこの頃です。
印刷と製本をお願いできる小さな印刷屋さんも見つけました。
それから、原稿も……。
最初に書いた物は、思い切って処分しました。
絵の所だけ切り取って、自分たちで持っていたり、友達にあげたり。
文章などは白紙の状態で最初から書き直しました。
その時点で、最初の物とは違う設定の所もあちこちに。
エピソードも新しく書きくわえてなんとか、自信の持てる物に仕上がっていきました。

そんな折、夏休み。
殆どの友だちがアメリカへ行くということで、私たちもアメリカとまでは行かなくても学生時代にしかできない友達との旅行がやってみたくなりました。
晶惺さんと二人、合宿みたいに執筆旅行がしたいと思ったんです。

けれど、父や母が許してくれるでしょうか。
ゼミのコンパや他校との交流みたいなダンスパーティーとか(当時はディスコがはやりでした)絶対許してもらえなかったので、参加したことがありません。
でもそれだけ両親のいう事を聞いてきたんだから、友達との旅行くらい許してもらえるんじゃないか。
ちょこっと期待して、切り出してみたら案の定、あかんと。
それからいろいろ説得し、頼み込んで、やっとの思いで許可をもらいました。
行先は長野。八方尾根のペンションです。
生れてはじめて自分達で計画しての旅行。
信州にはずっと行ってみたかったのです。

楽しい旅行でした。
ガイドブックだけを頼りに塩の道を歩き回って。
全踏破するつもりでしたが、甘かった。
お昼ご飯もなしにただただ歩いて、その道のりの長さを思い知って断念。
途中駅を探してやっとの思いで帰ってきたということもありました。
ペンションでは執筆を思い切りして、それからこの時すでに本にしてもらう時の挿絵などを一緒に描いたり。それから続きの所やエンディングまでのストーリーも考えて……。
充実した気分で帰って来たのですが、帰りの電車の中で体調を崩して晶惺さんに心配をかけてしまいました。
けれど、それ見た事かと言われそうなので、結局両親には内緒にしていましたけれど。


この旅行のためにおそろいの服も買いました(^^)
甘く見ていた塩の道
大変だった塩の道ですが、この時はまだそれをしりません。

ペンションのワンコとはとても仲良しに。晶惺さん、ふざけすぎ
晶惺犬と戯れるの図


短大を卒業したのちも、結婚してもずっと一緒に書いて行こう。
そんなことを旅行中に誓い合って。
親に反対されても絶対作家になる。
夢は膨らむ一方でした。



(つづく)




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夏休みが過ぎると本格的な就職活動になります。
こんな私も就職を考えていました。
高校から私学へ行かせてもらったわけです。
祖母の介護もあったし、家計が大変だった中。
少しでも今までの分、お返しできる何かをと。

就職活動の傍ら、合作は続いていました。
卒業までに本にする、と決めていたので。
その頃にはほぼ原稿が書きあがり、それを印刷屋さんへ持っていくために原稿用紙にリライトしていく作業。
私たちも書きましたが、とても手が足りず、けいさんという晶惺さんの高校のクラスメイトに手伝ってもらって。

晶惺さん、私、けいさん
晶惺さん、私、けいさん


003.jpg
当時の原稿の束 内容はこの先に出てくるシーンもあるのでごめんなさい。



原稿の書き方、校正の仕方も就職活動の合間に勉強していました。
通信教育で、なのですがそれがついこの前の出版にも役に立つことになりました。
勉強はやっておいて無駄なことはありませんね~。


(つづく)


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そして卒業の日までに私たちの初めての本ができあがりました。

オフセット印刷、印刷屋さんによる和文タイプライターと私たちのイラストで版を作り、B5オフセットで100冊。




こんな感じの本です。
表紙


中身はこんな感じです。
005.jpg


卒業式の日、自費出版記念の写真
卒業の日、本を手に



お値段は1冊2,000円以上になりましたが、素人の私たちの本がそんな値段で売れるわけがない。
とにかく手に取ってもらうために、と500円を切るお値段にして、10冊は晶惺さん行きつけの本屋さん、10冊はその当時大阪梅田にあった書店さん(ここでは同人誌などのコーナーもありました)に置いてもらうことにしました。
残りは友達や親戚、知人、短大の教授や講師の先生方が買って下さったり、プレゼントしたり。
もちろん祖母との約束でもありましたから、1冊は仏壇にお供えして。
そう……。祖母の枕元での約束が一つ、果たせたのです。
出来上がった直後は本当にうれしくて。
今のようにワープロやパソコンはお手軽なものではなく、原稿も全て手書きでしたから、自分たちの文章が活字になっているだけで、ただそれだけでも、舞い踊るような大喜びぶりでした。

実は在学中の就職活動は二人とも失敗に終わっていたんですけれど。
晶惺さんは卒業後に就職が決まりました。
私は父との約束で1社のみの面接でしたから、それ以上の就職活動はできないことになってしまいました。
それが本を出してもいいという条件でもあったのです。

そうして密度の濃い短大2年間はあっという間に過ぎてしまいました。
卒業の日までに一つの形になったこと、今ではよくやったな~と思います。
けれど正直、満足であるかといえば、そうではなかった。
本の体裁も、文章、イラスト、構成……全てに不満が残りました。
未熟さは出した直後にすでに感じていたし、何よりもまだ物語は続いています。
これが終わりというわけではなかったのでした。


(つづく)


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幼いころから稽古事はいろいろさせてもらっていた私でしたが、正直な所どれも好きではじめたわけではありません。
短大を出ると本気でその稽古事の師範を目指すように言われていましたが、そのうちのいくつかは金銭的な理由であきらめざるをえませんでした。
それで中途半端な形でやめた物がいくつかあった中……。

短大を卒業したのち私は近所の書道の先生のアシスタントをしていました。
高校卒業までお世話になっていた書道教室は遠くなってしまったこともあり、獣医師の父が犬を診ていたお宅の奥さんが書道を教えているという事でしたので、その先生の助手的な仕事をさせてもらうことになったのです。

教室は3か所。
先生のお宅、宝塚、京都の長岡。教室がある日は1日仕事です。
書道教室では奥さん方の他に子どもたちも来ていました。
その合間に苦手な和裁を新たに習うことになりました。
町の大きな地主さん宅で、来ている人は年配の方ばかり。
一番若い人で母と同じくらいの方でした。
和裁の日は朝ご飯の後すぐにそこへ行き、夕方の5時までせっせと針を動かします。
苦手な私でも浴衣が縫えるようになりました。
もう一つ。母のお友達が地域のソフトボールチームをしていて、そのチームからお誘いを受けて参加することに。
ママさん選手ばかりの中、独身の二十歳の若輩者が仲間に入れていただいたわけです。
そんなわけで知り合い、友達の年齢層が広がりました。

それなりに充実した日々を送っていました。
でも満たされていたわけではなかったのです。

父には本を1冊出したことで、これで物書きの真似事はやめ、花嫁修業だぞ、と言われていました。
そう言い渡された日は大泣きして、続けたいと訴えましたが、聞き入れてもらえず、納得できない私はこっそり夜の間に布団の中で書き続けていました。

晶惺さんとも最初の内は連絡を取り、こっそり会っては続きのストーリーを練って。
しかし学生時代のようには書けません。
今までは毎日のように出会えたのですが、会うのも限られた時間になってしまいます。
そのうちに晶惺さんも就職が決まって、残業が多くなりました。
電話をしてもお留守が多く、細かい打ち合わせもできなくなってきました。

このまま、色んなおけいこ事と同じように中途半端な形で終わってしまうのかな。
何も形にならないまま。
そんな不安がむくむくと。
ちゃんと作家として世の中に認めてもらえたら、父だって分かってくれるだろうか。
父の事は大好きでしたが、受け入れられないこともありました。

女性は家にいて家庭を守るのが幸せなのだという考え方でした。
そのくせ自分は料理も大好きで、母と一緒に台所にたつこともしばしば。
そのことを指摘すると、私の夫になる人が父のような人とは限らないだろと、言います。
料理もできないような嫁では困る、と。
また夫になる人がいつも元気とは限らないから、習い事で師範の免許をとって、家で仕事ができるようにと言います。
だったら、作家になることも許してくれたらいいのに、と思いましたが、それは家にいるだけでできる仕事じゃないし、作品を通じて私という人間を世間にさらすことになる。そういうのは父親としては認められないと、そう言われてしまいました。

父と距離をおきたい。
そんなことをその頃の私は考え始めていました。
大学進学を目指していた弟が遠くの学校に入学を考えて、そうなると一人暮らしをするのだということが本当にうらやましくて、自分も男に生まれたかったとしみじみと思いました。

そんな頃、結婚の話がいくつか持ちあがります。
書道教室に来ている世話好きな奥さんが、いくつも話を持って来てくださいました。
そんなわけで卒業後1年もたたない頃、お見合いすることに。
そのお見合いで今の主人と出会うことになります。


(つづく)


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その頃の私はとにかく家を出たかった。
思い切り好きな執筆活動ができる自由が欲しかったのです。
父の事は幼いころから尊敬もし、大好きでした。
けれど父が作った枠の中で、父の理想通りの生き方をすることには疑問を感じていました。
結婚すれば、その父の呪縛みたいなものから解放されるのではないか。
そんな安易な気持ちで、お見合いに臨んだわけです。
結婚=逃げ道でもあったのです。
それに学友たちが就職を決めて頑張っているのに、社会に出なかったことにも後ろめたい気持ちもありました。

主人との結婚を決めた理由は、お見合いの後、二人になった時に晶惺さんと作った本のことを話すと、「読んでみたい」と言ってくれたことでした。
結婚しても書き続けていいですか、という質問にも「やりたいことをやってください」という事でした。

20そこそこの私に対して、当時主人は30を目前にしていました。
とても大人の人という気がしたんです。
主人の母はとにかく息子が30になる前に結婚を決めたがっている雰囲気でした。
今ならすごく歓迎してくれるような気もしました。
両親ともに兵庫の丹波地方の出、ということにも何か縁を感じました。
私の父も京都ではありますが、丹波の出身です。私もその町で赤ん坊時代を過ごしました。
主人の父は戦時中は海軍の士官をしていました。
そういう人だから、きちんとした方なんだろうと思いましたし、実際そういう方でした。
結婚を決めた一番の理由がこの義父となる人だったかもしれません。
歳は私の母方の祖母と同じ歳でしたから、まるでおじいちゃんのよう。
実際嫁いだあと、孫娘みたいにかわいがってくれました。婚家では私の一番の理解者でもあったのです。

家は商売をされているということくらい、そして義母となる人がある社会団体で幹部のようなことをしているということくらい、主人の姉が二人、妹が一人。皆結婚して近くに住んでいるという家族構成は分かったものの、後の情報はないまま、主人とのお付き合いが始まりました。
と言ってもデートは1度だけ。
あとは我が家に主人が来て、結婚式の打ち合わせをしていたくらい。
そんな感じで、私がいいともいやだとも言う前に、流れは結婚の方へと。
主人とは恋愛感情が湧く前に、お見合いから5カ月もたたないうちに結婚の運びとなりました。

世間知らずな一人の娘が、見知らぬ土地へ行くことになったわけです。
料理だけは幼いころから母を手伝っていたから、そこそこできる自信はありました。
けれど料理ができるだけでは本当に妻としての役割ができているとは言えないですね。
驚くような現実が次々と。
結婚ということに甘い考えしか持っていなかったことを思い知らされました。

義母のやっている活動に参加するように言われたり、実際参加したり。
その団体の人達の目もあるのでいい嫁であるよう頑張らないといけなかったり。
義姉や義妹の赤ちゃんの子守をしたり。
義母は家事を殆どしない人でしたから、最初から何から何までやらなければなりませんでした。
台所で義母と並んで料理をするようなこともちょっとは夢見てたのですが現実は違っていました。
来客も多い。それも突然に、接待しなければならないお客様が来られることも日常茶飯事でした。
主人の姉妹が家族連れで集まることも多かったです。
二人目の義姉は母の活動の秘書的な仕事をしていましたから、近くに住む義姉のおしゅうとさんのお世話もたびたびすることがありました。また校長先生をしていた一番上の義兄(義姉の旦那さんです)が、外国人の先生を連れて来られるようなこともありました。
いつもお酒やビール、上等のお茶、お茶菓子になりそうなものは用意しておかないといけません。
それもいちいち教えてもらえなかったので、自分で何とか考え、手探りの中でやっていました。


主人や義父の商売は手伝わなくてもいいと言われていましたが、実際はそういうわけにもいかない時も。
しかしそちらは専門的なこともあって、さっぱりです。
主人も義父も休みの日は自分の趣味の世界へ出かけて行きます。
その間にお客さんが来られてどうしても商品を売ってくれと言われたり、またその約束もたまに忘れて出かけてしまうことが多く、あたふたすることも。

娘時代の方が気楽だった。
そう感じた事もしばしば。
父から逃れたいなどと、安易に結婚話にのった自分が悪いのだと言い聞かせながら、とにかくこの家に慣れようと頑張っていました。

そんな中でも、小説は書き続けていたのです。


今回、ちょ~っと、過去の愚痴こぼしみたいになってしまいました。すみません。






(つづく)

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結婚後1年ほどで女の子を出産。

義母がその当日入院してしまい、実家の母が産院へ来てくれていました。
もう少しで死産という状態でしたが、母の機転で産婆さんがすぐ動いてくださって、無事母親になることができました。
母になれたのは実家の母のおかげだったと今でも思っています。
娘もそんなわけで、おばあちゃんが命の恩人であると思っています。

精神的に大人になっていない私でしたから、嫁いですぐ義理の姉妹の子どもたちの子守をしていたことはいい経験になりました。
小学4年の時に下の弟が産まれ、家業を手伝っていた母の手助けで子守などはしたことがあります。
けれど、知識や経験だけで母親になるのではない。
その時そう思いました。

死線を越えて生まれてくれた娘が本当に愛おしかった。
そしてその愛おしさから、自分の両親の愛情をも感じました。
私が産まれた時どれほど、喜んでくれたのだろう。
どれほど愛おしんで育ててくれたのだろう。

それまでは頭では分かっていましたが理屈ではなく実感として分かったのはその時だったように思います。
父や母にこうしてほしい、これを認めてほしい、分かってほしい、などと思って時には反感を覚えた事が、ただの私の身勝手であったとその時気づきました。

ずっとのちになって母から聞かされたのは私が嫁いだ後の父の落ち込みぶりでした。
まるで「全身の精気を奪われたような」そんな気がすると言って、殆ど笑うこともなく、不機嫌そうな顔をしていたと言います。
そんな父の私への思いも、娘時代には重荷になってよく考えもせずに結婚へ逃げた事を申し訳なく思いました。

一方母親になってもなかなか婚家の空気になじめないまま、義母や主人の姉妹から見れば不調法で気のきかない嫁でいました。
主人の姉妹も私からはずいぶん年上です。
認めてほしいということや、負けたくないという意地みたいな物が私にはあって、今から思えばすごく背伸びをしていました。
自分の弱い所、できない所も見せたくないと。

そんな私をかわいいだとは思ってもらえるはずもありません。
主人にもいまだにそうですが、丁寧口調で話しかけたりしてます。
もっと甘えればよかったのかなとも思います。
が、夜も週末も自分の趣味の仲間との交流をしている主人でしたので、その主人にも心を開くこともなかったように思います。


娘がヨチヨチ歩きの頃でしたか、転機が訪れました。
住んでいた家と店の一部が市の開発計画の予定地に入っていて、立ち退きを言われ、近くに引っ越しました。
残った一部の土地の有効活用ということで、当時はまだこの辺りではなじみのなかったコンビニをやろうということを主人が決め、私に店長をやれということに。

まだ子育て中ですしアルバイトくらいで仕事らしい仕事もしたことがありません。
今でも夜のちょっとした時間にしか書く時間がないのに、24時間無休だなんて自分の時間がなくなるとも思いました。
けれど義母の
「あんたしかするもんがいない。子育ては私らがするから心配せんとき」
その言葉に押されるように、店長の件、引き受けてしまいました。

研修も受けないといけません。
結婚後初めて社会の中にでることになりました。
いきなり世界が広がるような気がしました。
母親としてのつとめも家のこともできなくなるかもしれない。
それでも自分がここで認めてもらえるチャンスかもしれない。
自分の居場所が欲しかったし、母のやっている団体の仕事はやりたくなかったので、結婚の時と同じ不純な動機で引き受けることになりました。

しかしこれもまた甘く考えていた愚かさを思い知ることになります。





(つづく)

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コンビニの仕事を始めた時は20代のまだ前半でした。
初めて仕事らしい仕事につき、初めて何人ものパートさんアルバイトさんを抱え、初めて色んな企業さんとも関わり合いをもつようになりました。

従業員さん達は殆ど年上、年下なのは学生さんくらいですがそれほど年齢差があるわけでもなく、女性店長。
ここでも背伸びしながらの毎日でした。
家族身内、そして義母の関係者、従業員さん、お客さん、コンビニ会社の本部、取引先……。
認めてもらいたい相手ばかりです。

けれど一生懸命やればやるほど、嫁、妻、母として本来すべきことがおろそかになっていきました。
義父は毎日のようにベビーカーに娘を乗せて店まで来てくれました。
そのひと時が私には宝のような時間でした。
一方殆ど家に帰れない私は、家の中で孤立しているような気持ちになって行きました。

またこの店は色んなトラブルにあいました。
万引きは多いし、深夜バイクで店に乗り込んでくる人もいたり、隣の火事のもらい火があったり、強盗に入られたり……。
24時間営業でしたから、深夜寝ている時も気になって熟睡できなかったり、急にバイトさんが入れなくなったりで、徹夜状態で仕事することもありました。

たぶんストレスもたまっていたと思いますが、体を壊してしまい、結局は店を本部に任せて、経営から下りることになりました。
僅か数年、そこの店長であっただけです。

その間、殆ど書くことから遠ざかっていましたが、密度の濃い日々でしたから普通ならできない経験も色々させてもらえました。
例えば強盗事件や火事で警察や消防の方達にお世話になったり、ちょっとばかりテレビや新聞の記者さんともお話したり。
ドラマでしか見た事がない調書を取るという刑事さんのお仕事も見ることができました。
いかつい顔の刑事さんが、実はとても人当りがよくて(こちらが被害者で、まだ若い女性だったからかな)字もめちゃくちゃ綺麗だったりして驚きました。

色んな所で色んな方がそれぞれの仕事を懸命にされていることをその時学ぶこともできました。
ですから、決して無駄な時間でもなかったと今では思うことができます。
しんどいな~、辛いな~と思いながらも実はその苦労を楽しんでいた私です。



(つづく)

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コンビニをやめてから、少しは時間的な余裕も生まれました。
専業主婦に戻ったわけですから。

けれど気持ちの余裕はなかったように思います。
背伸び生活は相変わらずでした。また体も不調でしたけれどどこがどうと言えない不調で、病院に行くこともなかったです。

そんなもやもやの中、娘も幼稚園へと。
幼稚園の母の会の用事などもありましたが、それ以外は殆ど家から出ることもなかったです。

一方晶惺さんもその頃は仕事が忙しく、お互い連絡もなかなか取れない状態でした。
それでもずっと二人で話し合ってきた筋書きにそって2冊目の本を作る準備はしていたのです。
2冊目は過去に戻って主人公たちの背景など。
今回「Destiny」で、一部触れた部分。
学生時代のようには書けないので、章ごとに担当を決めて、書くということにしていました。
けれど仕事で時間を取られて晶惺さんは殆ど書けず、その状態がつづいたままに彼女も結婚ということになりました。
一人っ子しかできなかった私と違い、3人の子どもができて子育てに奮闘していた頃です。

いつか彼女も書ける時が来るからと思い、私は私で書きながら、本気で作家になるための勉強を始めました。

通信教育で使えそうなものをいろいろ。
校正、シナリオの書き方、童話の書き方、挿絵の技術……。

住んでいる所の市がやっている勉強会で自分史の書き方というのも、受講しました。
この時の先生は文章の添削はされない方でした。
文章はその人の個性だから自分が手を入れることは、個性を壊すからと。
他、自費出版の事など、色々教えていただいたことが後に役に立ちました。

またある雑誌で同人誌のお誘いコーナーがありました。
主催者の方が、すぐご近所におられるサークルを見つけ、その方に連絡を取って参加することになりました。
既に娘が小学校2年の頃です。
その方も同じ校区にお住まいで、もうすぐ娘さんが入学と言う事でした。
サークルはメンバーの作品をその方がまとめ、1冊にして回し読み、感想を書いて送る、またその感想に対するコメントなども書いて送るというもの。
ワープロがすでに出回っていた頃でしたから、原稿もそれを使ってと言う事でした。

この同人誌ではかなり鍛えられました。
当時私は誤字が多く、それも結構指摘されました。
内容面もシビアな意見があったり。
また自分も人の作品に触れて、意見を書くわけですから、読解力が試されます。

中には的外れだったり、やっかみでの意見もありますが、そんな中で人に読んでもらうことのむずかしさと楽しさを味わって行きました。

厳しい意見もそれこそが大事だったのです。
自分ではよくできたと思っていても、読み手に伝わっていないということも多々ありました。
自己満足だけではだめなのだということもそこで学びました。
読み手を意識して書くことが大事だったのです。

となると今まで私と晶惺さんが書いてきた物にも、だめだししたい部分がかなりありました。
その本を主催者の方が読みたいと言ってくださったのです。
そんな作品をよく本にできたなと恥ずかしさも覚えていましたが、厳しい意見が聴きたくなって読んでいただくことに。

感想はすごく楽しめたこと、それと疑問を感じたいくつか。

全て納得できることであり、自分でもだめだししていたことも指摘されました。
ですから全面的に書き直そうと思ったのです。
今度はちゃんとした商業出版を目指して。

晶惺さんは相変わらず子育て中でしたが、何度か時間を作って子ども同伴で会うことにしました。
練り直し、練り直し、そうやってまた設定も変わっていきました。



しかしある事が起きて、そのサークルは解散ということになってしまいます。
そして私と晶惺さんもしばらく書くことができないほどの精神的ショックに襲われてしまいました。

それについてはまた。




(つづく)

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18年前、1月17日。
阪神大震災。
今思い出しても本当に怖い体験でした。
周辺の色んな物が破壊されて、多くの方が亡くなって、我が家も家のあちこちがいたみ、いまだに上階で誰かが歩くだけでも大きな音がしたり、雨漏りが続いています。

しばらく電話が通じず、周辺の友達も晶惺さんとも連絡が取れなくなりました。
線路や道路が遮断された所もあり、テレビのニュースでは線路を歩いて行き来する人達が映し出されていました。
晶惺さんのお住まいの辺りは大きな被害もあったと聞きます。
電話がつながらないことに悪い想像ばかりが膨らんでいきました。
やっとの思いで通じた時には二人とも電話口で泣きました。

彼女も私も寸での所で子どもを大けがさせるか、最悪亡くしてしまうかの状態をちょっとした偶然から救われました。
命というものは本当に少しのタイミングで失ったり、救われたりするものだと感じました。
同じことをずっとのちにも感じることになります。
晶惺さんは家のあちこちがいたんで、しばらくご実家へ帰ることになりました。

私たちの所はかろうじてまだ被害が少なく、私たちは炊き出しをして被害が大きかった地域の知人さん達におにぎりを届けることに。
ライフラインは完全ではなかったですが、できることがあるということはとてもうれしかったのを覚えています。
出来上がったおにぎりは、主人と義母が車で行けるところまで行って届けました。
一部道が途絶え、大きく迂回しながら届けたそうです。
途中の惨状は帰ってきた主人から聴き、あまりのことに言葉がなかったです。

実家や親戚、友達からも色んな助けをもらいました。
本当に人の心のありがたさを思い知りました。

けれどあまりにショックが大きくて、またこんな時に自分の好きなことをしていたらいけないという罪悪感で、何も書けなくなりました。
この現状を書きとめておきたいとも思ったのですが、何もできないまま時間だけが過ぎている感じです。
それでも家の中のあちこちの後片付けをしながら、落ち着いたら書こうと言う気持ちだけは持ち続けていましたが。

入っていた同人誌のサークルの主催者さんもこの後、書けなくなったと。
彼女は心底プロを目指していましたし、その力も十分ある方でした。
が、何を書いても現実がすごすぎて、無力感ばかりだと言って、彼女は筆を折ることにしたと言います。
サークルもそれを境に終止符を打つことになりました。

晶惺さんも生活の立て直しで書くどころではありません。
その当時は幼い子が二人、震災の数年後にはもう1人生まれ、それからは子育ても忙しい状態になっていきました。


少しずつ周辺の状態は復興に向かっていたのですけれど、私たちは足踏みを続けていました。
未来に希望を持っていても、こんな風に何が起こるか分からない。
けれど……。
亡くなった人も多い中、生きることを許してもらったのではないのかな。
だったら足踏みしていていいのかな。

そんな思いで、少しでも書いて行こうと自分の気持ちを無理矢理に立て直し、立て直すために書くというどちらかよく分からない状態で、執筆を再開しました。

その頃の晶惺さんとは作品への思いの温度差も感じていました。
彼女はすごく書きたがっていたのですが、現実に追われて書けない状態でした。
彼女の中に書きたい気持ちと、できないことへのジレンマみたいなのがあって、辛そうでもありました。

「私、一人でやらしてくれないかな」

とうとう私はそう彼女に言ってしまいました。
一度彼女を解放した方がいい。
私も彼女に窺いを立てることなく書いてみたい。

そう思って彼女から作品を取り上げてしまいました。
そのことを告げた時、彼女は自分が書けない状態だからと納得はしたものの、寂しそうに

「それでも友だちでいてくれるよね」

と言ってくれました。
私達がつながっていたのはこの合作があったからなのかもしれません。
それがなくなったら、友達としてやっていけないのではないか。
彼女はそんな不安があったようです。

続きが書けたら、彼女に読んでもらう。
そうしたらいつか、また書きたくなる日がくるかもしれない。

一人でやらせてと言うのはとても勇気がいりましたが、いつかまた晶惺さんと書ける日が来る事をこの時は信じてもいたのです。






(つづく)

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プロフィール

AYAKA

Author:AYAKA
「乳癌とエリちゃんに感謝。病気に負けない日々」を綴っていたあやにゃんです。

日々思うこと、自作小説の執筆裏話を中心にお届けします。
不定期更新ですがよろしくお願いします。

アメブロで、猫のウバとブログやってます。
http://ameblo.jp/ayatakelog/
(ウバのひとりごと)
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武美肖佳&龍未晶惺の名で、学生時代からの親友とこのたび文芸社から本を出版しました。

「DESTINY―遥かなる宇宙より―」
武美肖佳(たけみあやか)
龍未晶惺(たつみしょうせい)

四六版・並製268頁 
定価1,155円(消費税込み)
文芸社
ISBN978-4-286-12296-0

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